home, sweet home.
second home town project アートでつくろう、第二の故郷 セカンドホームタウン プロジェクト 東京がベースなのに、毎日3時間を通勤電車で過ごす。 鹿児島出身で、しょっちゅう鹿児島の母親と電話をして気遣い合っているのに 一緒に暮らせない家族。 電話の向こうは、耳慣れない方言。懐かしく、温かく、でも、意味がわからない言葉。 私は、小さい頃から飛行機に乗って、盆と暮れに羽田空港から鹿児島へ連れて行かれた。 大好きな鹿児島の祖母は、千葉の家に来て、私のベビーシッターをしながら何ヶ月か過ごしては、やっぱり鹿児島が良いと、帰って行った。 祖母の最期は、私がアメリカ生活を始める直前だった。 「もし、祖母が回復して退院できたら、アメリカ生活も仕事も全部一度辞めて、 1-2年位、祖母と一緒に鹿児島で生活してもいいかもしれない、、、」 と、半ば本気で思い始めていた時に、あっけなく逝ってしまった。 癌になって手術した祖母は、人工肛門をぶら下げながらの生活を1−2年した後だっただろうか... 最後は、鹿児島の病院に10日ばかり入院して、 家族が交代で泊まりにいき、親類のお見舞いがひととおり終わった頃、 逝ってしまった。 私が泊まるはずだったその晩に、逝ってしまった。 その晩、東京の家で祖母が遠くに行ってしまう夢を見て、泣きながら目が覚めた後の訃報だった。 祖母の最期を看取れなかったことが、ずっと心にひっかかっていて、 「忙しいのに、大変だろうから」と、それまで一度も看病に参加していなかった叔母に 私の泊まりの代わりを頼んでくれた母を逆恨みしたくなる気持ちになることすらあった。 その後のアメリカ留学では、ひたすら小作品を作った。 面白いコミカルな作品が主流だった。 悲しみを作品に反映できるようになるには、4−5年かかった。 本当の悲しすぎる時には、涙すら出ないのかもしれない。 涙は、ある程度、余裕があって初めて出るのかもしれない。 あの時、やり切れなかった看取りへの後悔が、 今の自分の鹿児島生活で噴煙しているようだ。 やりきれない思いや、達成できなかったことは、 時には、未来に繋がることもあるのかもしれない。 両親を関東に残してのJターン生活。 介護が始まったらどうなるのだろう? 地域おこし協力隊の任務が切れた後は、今まで通り 仕事があるところに出向くプロジェクト型生活になる。 仕事がある処に出向くとなると、今まで以上に、鹿児島にいる時間が 短くなってしまうかもしれない。 それでも、鹿児島で芽生え始めた自分なりの根っこを 末永く育むことを続けていきたいと思っている。 「ただいま」問い得る人達がいてくれる限り。 「おかえり」と迎えてくれる人達がいてくれる限り。 キラキラした光や気持ち良い風を、 あちらからこちらへ こちらからあちらへ、 運ぶ役目。 自分にできること、自分が本当に良いと思えることを 無理せず楽しく、やっていこう。
by osumiart
| 2015-01-20 14:00
| 概要 general info.
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