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防災減災縮災体操

2024年は、元旦から能登大震災がありました。
その爪痕は、3月になった今でも残っています。

今回、友人の住職ご夫妻が活動されておられる現地の支援活動に便乗させて頂く形で
石川県能登半島、七尾市の復旧作業のボランティアに参加してきました。

鹿児島県で芸術祭を開催していた時期に「七尾旅人」というアーティストさんをご紹介され、
鹿児島市でのライブに伺ったことがありました。
ご挨拶できたものの、大隈芸術祭にお声かけするまでには至らず、その後は疎遠になっていましたが、

七尾市出身の七尾旅人、という名前はとても印象に残っていて、それを思い出しました。

ボランティア支援センターは、金沢駅から徒歩10分ほどのお寺の境内にあります。

毎日夕方6時に、その日の情報シェア、翌日の作業計画確認、などをしています。

朝は、6時7時から出発し、2−3時間かけて能登半島に車で移動し、
復旧作業の必要なお寺を中心に、1日1件の割合で作業しています。

私が参加した初日は、土壁が剥がれ落ちた土蔵の建材を解体して、分別して、回収所に持っていく
という作業でした。

天気予報は曇りだったのですが、雪、みぞれ、雨、青空、と目まぐるしく変化する中、温度調整しながらの作業した。

まだライフラインが完全復旧していなかったので、簡易トイレを2台に積んだトイレカーも運転していきます。

ボランティア支援センターは、宗派の全国各地のお寺および本山からのボランティア出向で成り立っていました。

被災地の状況も、刻々と変わっていきます。

必要な支援が日々変わっていく中で、毎日夕方6時のミーティングで、
翌日の作業計画の発表、分担の確認、当日の反省点と申し送り事項、
新しく来たメンバー紹介と、帰っていくメンバーから一言。

1月からずっと続いているだけでなく、これまで全国で起きていた災害時にも
同様に稼働して来られたとのこと。

歴史を振り返ると
現代のような市町村制度になる前の古来、お寺が住民の戸籍的な情報を把握、管理していた、という歴史があります。

冠婚葬祭、特にお葬式の要なので、自然とそのような役割となっていたのでしょう。

宗教というのは、見えない価値観を共有することで育まれていきます。

見えない価値観や推奨される行動、禁止される行動、が言語化されたものが
経典なんですね。

日本は神仏統合の歴史もあります。
神道と仏教の共存のあり方は、非常に興味深いです。

自然を敬う八百万の神への信仰と、特定の流派に属する仏教とが
自然に共存する徳の高い文化が根付いている地域に支えられてきたとも言えます。

私の家は、本家が神主系でもあり、祖母のお葬式は神道でしたので、
仏教には馴染みがありませんでしたが、
このような形で知ることができたのも良かったです。

防災減災縮災体操を広めていく必要性も、改めて「ぼやぼやしてたらいけない」と痛感しました。

本当の意味で、体と心のセルフケアは、これからが勝負です。

命が助かること、安全な居場所や食べ物・飲み物を確保すること、衣食住が整い、安心した頃に
溜まっていた体や心のストレスによる不調も出やすくなります。

こちらのリンクから、朝起きる前の簡単な体操動画をシェアしますので、
ぜひ、普段の習慣化しておいて頂ければ、防災減災にもつながるかと思いますので、
ご活用くださいね。



# by osumiart | 2024-03-05 09:13 | お知らせ NEWS!

住民が仲良くなるためのボンダンス

デンマークの自然豊かなムン島で過ごした2018年の夏

私はコロナ前の2018年、デンマークの美しいムン島で素晴らしい時間を過ごしました。この滞在は、デンマーク在住のアーティストからの誘いによって実現したコラボレーションプロジェクトでした。

彼女は映像作家であり、日本からデンマークに渡り、現地のご主人との間に可愛らしいお子さんを授かりながら、映像作家として活動しています。この滞在は、異なる文化や環境でのアート制作方法に触れる貴重な機会でした。

日本語と英語の言語文化の違いも興味深いものです。日本語は感覚的で曖昧な表現が多く、英語は単刀直入でシンプルに物事を伝える特性があります。

私はSNSコミュニティ文化についての論文を書いたことがあり、文化人類学の論文や書物も読みました。その中で、特に印象的だった一文があります。「人々が集まった時に、当たり前のように行う行為、やらずにはいられない行為が文化である」という言葉です。この言葉は私の心に深く刻まれています。

あなたにとって、「やらずにいられない行為」とは何でしょうか?世界中の人々が「日本の文化に憧れる」と言うことを耳にすることがあります。日本の伝統芸能や工芸品、建築物など、見える文化だけでなく、見えない文化にも魅力があるのかもしれません。

私たちはアート、福祉、教育を通じて貢献し、成長し、交流し、創造し、伝えることができます。私たちの人生を豊かにするアートについて、知らない人々にどのように伝えることができるでしょうか。

そんなことを考える日々ですね。またデンマークのみんなに会えますように🌟



# by osumiart | 2024-03-06 14:07 | 場所 place

ギネスホルダーになったアーティスト

数年振りに、偶然またfacebookのアカウントに入ることができた。
パスワードを忘れてずっと、放置したままだった。
久々に見た旧友・旧知人達は、年月を経て、確実に実績を積んでいた。
好きなことをやり続けることの成果を見れて、とても嬉しかった。

その中でも、鹿児島にもご縁があり、ご活躍ぶりが目を見張るものがあったのでこちらに紹介しておく。

2024年東京都庁のビルに投影させる大規模なプロジェクションマッピングのイベントが開催されている。
映像と音楽と光のメディアアートイベントは、世界最大規模ということでギネス認定されたそうだ。

映像作家のみちさん主催の青山スパイラルでのメディアアート公演ではダンスを踊らせて頂き、
その前後の鳥取でのダンス公演の際は、わざわざ鳥取に来てくださり、砂丘でダンス映像を撮影したことを思い出す。

音楽家の高橋さんは、おおすみ芸術祭のゲストアーティストとして、鹿児島の大隅半島でも、作品提供してくださった思い出がある。
受け入れの環境が整わない中、奥様も一緒に来てくださり、開催に追われて、おもてなしも十分にできなかったことが心残りだった。

お二方とも、穏やかな人間性と、プロとしての覚悟や技能、アーティストとしてのセンスや完成、などなど、素晴らしいアーティストだ。
ダンス、メディアアート、を通してのご縁の豊かさを思い、改めてありがたいと思う。

ビジネスや土着芸能文化とはまた違うアートの世界。
人生を通して関われていることの幸せに感謝する。



# by osumiart | 2024-03-06 11:40 | 人 people

防災減災縮災体操

2024年は、元旦から能登大震災がありました。
その爪痕は、3月になった今でも残っています。

今回、友人の住職ご夫妻が活動されておられる現地の支援活動に便乗させて頂く形で
石川県能登半島、七尾市の復旧作業のボランティアに参加してきました。

鹿児島県で芸術祭を開催していた時期に「七尾旅人」というアーティストさんをご紹介され、
鹿児島市でのライブに伺ったことがありました。
ご挨拶できたものの、大隈芸術祭にお声かけするまでには至らず、その後は疎遠になっていましたが、

七尾市出身の七尾旅人、という名前はとても印象に残っていて、それを思い出しました。

ボランティア支援センターは、金沢駅から徒歩10分ほどのお寺の境内にあります。

毎日夕方6時に、その日の情報シェア、翌日の作業計画確認、などをしています。

朝は、6時7時から出発し、2−3時間かけて能登半島に車で移動し、
復旧作業の必要なお寺を中心に、1日1件の割合で作業しています。

私が参加した初日は、土壁が剥がれ落ちた土蔵の建材を解体して、分別して、回収所に持っていく
という作業でした。

天気予報は曇りだったのですが、雪、みぞれ、雨、青空、と目まぐるしく変化する中、温度調整しながらの作業した。

まだライフラインが完全復旧していなかったので、簡易トイレを2台に積んだトイレカーも運転していきます。

ボランティア支援センターは、宗派の全国各地のお寺および本山からのボランティア出向で成り立っていました。

被災地の状況も、刻々と変わっていきます。

必要な支援が日々変わっていく中で、毎日夕方6時のミーティングで、
翌日の作業計画の発表、分担の確認、当日の反省点と申し送り事項、
新しく来たメンバー紹介と、帰っていくメンバーから一言。

1月からずっと続いているだけでなく、これまで全国で起きていた災害時にも
同様に稼働して来られたとのこと。

歴史を振り返ると
現代のような市町村制度になる前の古来、お寺が住民の戸籍的な情報を把握、管理していた、という歴史があります。

冠婚葬祭、特にお葬式の要なので、自然とそのような役割となっていたのでしょう。

宗教というのは、見えない価値観を共有することで育まれていきます。

見えない価値観や推奨される行動、禁止される行動、が言語化されたものが
経典なんですね。

日本は神仏統合の歴史もあります。
神道と仏教の共存のあり方は、非常に興味深いです。

自然を敬う八百万の神への信仰と、特定の流派に属する仏教とが
自然に共存する徳の高い文化が根付いている地域に支えられてきたとも言えます。

私の家は、本家が神主系でもあり、祖母のお葬式は神道でしたので、
仏教には馴染みがありませんでしたが、
このような形で知ることができたのも良かったです。

防災減災縮災体操を広めていく必要性も、改めて「ぼやぼやしてたらいけない」と痛感しました。

本当の意味で、体と心のセルフケアは、これからが勝負です。

命が助かること、安全な居場所や食べ物・飲み物を確保すること、衣食住が整い、安心した頃に
溜まっていた体や心のストレスによる不調も出やすくなります。

こちらのリンクから、朝起きる前の簡単な体操動画をシェアしますので、
ぜひ、普段の習慣化しておいて頂ければ、防災減災にもつながるかと思いますので、
ご活用くださいね。



# by osumiart | 2024-03-05 09:13 | お知らせ NEWS!

セカンドホームタウン

home, sweet home.
second home town project
セカンドホームタウン_e0271882_1425228.jpg


アートでつくろう、第二の故郷
セカンドホームタウン プロジェクト

東京がベースなのに、毎日3時間を通勤電車で過ごす。
鹿児島出身で、しょっちゅう鹿児島の母親と電話をして気遣い合っているのに
一緒に暮らせない家族。
電話の向こうは、耳慣れない方言。懐かしく、温かく、でも、意味がわからない言葉。

私は、小さい頃から飛行機に乗って、盆と暮れに羽田空港から鹿児島へ連れて行かれた。
大好きな鹿児島の祖母は、千葉の家に来て、私のベビーシッターをしながら何ヶ月か過ごしては、やっぱり鹿児島が良いと、帰って行った。

祖母の最期は、私がアメリカ生活を始める直前だった。
「もし、祖母が回復して退院できたら、アメリカ生活も仕事も全部一度辞めて、
1-2年位、祖母と一緒に鹿児島で生活してもいいかもしれない、、、」
と、半ば本気で思い始めていた時に、あっけなく逝ってしまった。

癌になって手術した祖母は、人工肛門をぶら下げながらの生活を1−2年した後だっただろうか...
最後は、鹿児島の病院に10日ばかり入院して、
家族が交代で泊まりにいき、親類のお見舞いがひととおり終わった頃、
逝ってしまった。
私が泊まるはずだったその晩に、逝ってしまった。
その晩、東京の家で祖母が遠くに行ってしまう夢を見て、泣きながら目が覚めた後の訃報だった。

祖母の最期を看取れなかったことが、ずっと心にひっかかっていて、
「忙しいのに、大変だろうから」と、それまで一度も看病に参加していなかった叔母に
私の泊まりの代わりを頼んでくれた母を逆恨みしたくなる気持ちになることすらあった。



その後のアメリカ留学では、ひたすら小作品を作った。
面白いコミカルな作品が主流だった。
悲しみを作品に反映できるようになるには、4−5年かかった。

本当の悲しすぎる時には、涙すら出ないのかもしれない。
涙は、ある程度、余裕があって初めて出るのかもしれない。

あの時、やり切れなかった看取りへの後悔が、
今の自分の鹿児島生活で噴煙しているようだ。

やりきれない思いや、達成できなかったことは、
時には、未来に繋がることもあるのかもしれない。

両親を関東に残してのJターン生活。
介護が始まったらどうなるのだろう?

地域おこし協力隊の任務が切れた後は、今まで通り
仕事があるところに出向くプロジェクト型生活になる。

仕事がある処に出向くとなると、今まで以上に、鹿児島にいる時間が
短くなってしまうかもしれない。
それでも、鹿児島で芽生え始めた自分なりの根っこを
末永く育むことを続けていきたいと思っている。

「ただいま」問い得る人達がいてくれる限り。
「おかえり」と迎えてくれる人達がいてくれる限り。

キラキラした光や気持ち良い風を、
あちらからこちらへ
こちらからあちらへ、
運ぶ役目。


自分にできること、自分が本当に良いと思えることを
無理せず楽しく、やっていこう。
# by osumiart | 2015-01-20 14:00 | 概要 general info.

大隅文化生活

大隅文化生活
JOUと松本充明は、東京を拠点にして、これまでも年に1〜2回、一緒に長いをして来ました。
2011年はそれが特に増えました。
フランス、ドイツ、デンマーク、スイス、ベルギー、オランダ、韓国、、、。

その、増えた1年間をかけて、世界や日本のあちらこちらを旅しながら
「自分達の住処は、本当に東京でいいのか?
を考え続けました。

そして、2012年、世界中のどの国よりも今、日本に住むことを選び
日本のどの地域よりも、まずは大隅半島に住むことを選びました。

理由は簡単です。
 「面白そう!」
触感というか、直感というか、そんな根拠です。

決め手は、1番の理由は、
「誰がどう作ったかわかる、新鮮で安全で美味しい食材を毎日食べたい」
2番目の理由は
人々の持つエネルギー地域可能性
そして、ここ、大隅半島で、やりたいことがいろいろあります。

もちろん、これまで通り、不定期的に何処か世界へ滞在する活動の旅も、続けます。
それはおそらく、東京だったり、鳥取だったり、ヨーロッパだったり、アジアだったりします。

私たち自身が、これまで通り、いろいろな町を行ったり来たり、移動しながら、
私たちと出会い つながっている世界中の人達にも、
ここ、大隅半島と日本に出会いに来てもらったり、
大隅半島から日本の他の地域や世界へ出会いに行ったりするような、
私たちのライフワークである芸術活動により、
人がつながり動き出し、新しい何かを生み出す
そんな きっかけになれたら うれしい、とも思っています。

そんなこんなを
少しずつ書き足してゆくので、どうぞゆっくりとおつき合いの程、宜しくお願い致します。
大隅文化生活_e0271882_16171577.jpg

水田に張られた水の美しさ。
ここから稲が育つ。大隅半島の春。



その根本とも言える考えの中に、
全てにおいて、誰にとっても、
私たちがどこで何をどうする、に関わらず、
日常の忙しさに紛れて、今、決して
ないがしろにしては いけないのではないのだろうか
と思うことがあります。

それは、
私たちがこれまで、何も考えずに、
【自分で選んで来た】と思っていることは
本当にそうなのだろうか?
それは、本当に、必要なことなのだろうか?


を、じっくりと考え、検証し、もう一度選び直す、
ということです。

日々の生活や活動に追われ、私たちが置き去りにして来た大切なこと。

そのツケがこれ以上大きくなって突然の災害として
これ以上私たちに降り掛かってこないように
今こそ、日々の暮らしの中で、考え、選択していきたいと思っています。


そして、私達が選択した、生活を変えるという
アクションは、「セカンドホームタウンを作ろう」プロジェクトへと
つながっていきます。

http://osumiart.exblog.jp/i18/


プロフィール

JOU(じょう)
コンテンポラリーダンス作家。舞踊家。振付家。演出家。
23才でOLをしながら踊り始め、その後、アメリカ、マレーシアでの生活体験をもとに、国や文化を越えて、ダンスで人やモノや場所をつなげる草の根ダンスネットワーク活動を、国内外で幅広く展開中。
2008年Seoul International Choregpraphy Fesitivalにて外国人振付家特別賞を受賞。
武蔵野美術大学非常勤講師としてメディアアートの中の身体表現について教鞭をとる。
横浜市、および東京都文化発信プロジェクト・パフォーマンス・キッズ・トーキョー派遣アーティスト講師として、都内小学校にてダンスの特別授業を実施。 http://odorujou.net
2013年末まで、南日本新聞文化コラム「南点」にて隔週金曜日連載執筆中。

松本充明(まつもと みつあき)
視聴覚作家・即興演奏家
パリ・ソルボンヌ大学映画学科大学院を卒業し、フランスで7年間活動後、帰国。electronics、改造シタール、バンドネオンなど、独自の方法で演奏する即興ライブを、国内外で展開中。イタリアのベネチア・ビエンナーレ、ドイツのボン・ビエンナーレ、ダンス・ミュニックなど、国際フェスティバルにて、インドのダンスカンパニーとのコラボレーションダンス作品でも劇中演奏するなど、様々な国際的アーティストらともコラボレーション活動を展開している。クロワズモンフェスティバル東京版のプロデューサー、キュレーターでもあり、鳥取大学などで即興演奏WSなども行なっている。 http://www.4-em.org
JOUとともに、おおすみ夏の芸術祭2012、おおすも-かごしま芸術祭2013発起人。

総務省地域おこし協力隊blogに掲載中です。
http://www.iju-join.jp/chiikiokoshi/blog/4171/
http://www.iju-join.jp/chiikiokoshi/blog/4171/


# by osumiart | 2014-12-31 13:49 | 概要 general info.